代表 小椋について

小椋 孝一(おぐら こういち)

昭和46年5月生まれ
趣味:カメラ(主に風景写真)
   山ドライブ

経歴
  • 平成2年 富山工業高校 建築科 卒業
  • 平成2年 清水建設株式会社 入社 現場監督
  • 平成8年 清水建設株式会社 退職
  • 平成8年 小椋建築入社
  • 大工として数々の新築・リフォーム工事を行い、現在代表・現場責任者として従事
資格
  • 2級建築士      : 第9059号
  • 2級土木施工管理技士 : C012108961
  • 増改築相談員     : NO.281430
  • 応急危険度判定士   : No.1005036

幼少時代

夏休みのある日

誰もいないはずの部屋からトントンと音が響いてきました。私が小学生の夏休みのことです。

実家の二階へ上がってみると、いつも私のことを可愛がってくれた大工さんがそこには居ました。

二階には内装が仕上がってない空間があったのですが、そこに私の部屋を作ってくれるというのです。私は、部屋が出来上がっていくのをわくわくしながらずっと見ていました。

大工仕事

棟梁である父も大工さんといっしょに部屋を作ってくれ、そんな姿をかっこいいなあと思っていたものです。

そんな私の遊び場は父の作業場で、広くて木がたくさんあり道具も揃っています。走り回れるし何でも作れる、加工後のおがくずさえも遊び道具でした。

木の上で家づくり

あるとき友達と木登りをして遊んでいるときに、

「ここに家を作ろう!」

ということになりました。

単に子供の思いつきで言ったことでしたが、考えただけでワクワクし楽しくなり、即行動を開始しました。作業場からこっそり材料を拝借して、木の上で家づくり開始です。

木の上にある家は、屋根までは作れませんでしたが、友達と一緒に作った思い出と楽しみの詰まった家です。子供のころに見ていたアニメ、「トムソーヤの冒険」にあったハックの家と同じく僕たちの秘密基地でした。

木の家

友達といっしょに作っているとき、完成した木の上の家ではしゃいでいるとき、そこにいるだけでとても楽しかったことを覚えています。

「木の上の家」 これが私の初作品となりました。

その後、大人になり小学校時代の先生に出会ったときに、大工をしていることを伝えると、「お前「大工」になりたいって言うとったからの」と先生は仰られました。当時からそういう想いを持っていたようです。

大手ゼネコンへ就職

物作りをしているのに楽しくない・・

高校は工業高校の建築科に入りましたが、「大工さん」になるためではありません。ただなんとなく入ったのだと思いますが、建築に関してしっかり学ぶことができました。

卒業後、清水建設に就職し現場監督になりました。

日中は現場を監督し、夜職人さんたちが帰ってから次の段取りや調整、施工図面の作成など毎日深夜遅くまで残業です。時には徹夜で現場事務所に泊まることもありました。

一生懸命やって、数十億円のビルや工場が完成していく。「自分の書いた図面でこの建物が出来上がったんだ!」と言う達成感を感じることができました。

しかし、

徹夜してまで取り組んだ建物がどう思われているのか、いち現場監督がお客さんと合うことはありませんでしたから、喜んでもらえているのかどうか、声が届くことはありません。

ただ建物を作っているだけです。これが終われば次、次が終わればまたその次と、こなしていくだけの作業で、達成感や喜びは消え失せていきました。

友達からのひとこと

そんな時、友達に言われました。

「お前、そんなに仕事ばっかりして楽しいがか?」

あれっ!

仕事に追われ、無我夢中で取り組んできた。楽しいはずの物作りの仕事、大きな建物を作り達成感はある。でもお客さんの喜んだ顔、ありがとうって言う声は届かない。一方的な物作りで、単なる自己満足だったのではないか?

ものづくりをしているのに楽しくない。これは私がしたかった物作りじゃない…。

私の前には、お客さんはいなかったのです。

現場監督から大工への転身

そんな疑問を持ち始めたころ、小学生の時に作った「木の上の家」のことをふと思い出しました。作っている時の楽しかったこと、出来上がったときの喜び、友達の笑顔、あのころの思い出が浮かび上がってきました。

あのときの感動や喜びを味わいたい
出来たときの笑顔
喜んでくれる人の声が聞こえる
そんな心の通じた仕事がしたい
と思い立ち、当時小椋建築の棟梁であった父に「大工になりたい」ということを相談しました。

父も反対しましたし、当時の会社の先輩にも止められました。会社勤めをしていれば生活の心配はありません。

しかし、自分の意思は固く、6年間勤めた会社を後にして、小椋建築に大工として就職を果たしました。

小椋建築での修行

大工職人としての日々が始まり、最初は見習いです。

親方にやれと言われたことをやっていくだけです。初めてのことばかりで戸惑いながら取り組んでいました。道具の使い方すらわからず、親方に教えを求めてなんとかこなしました。

すると、説明してくれた最後には「怪我するなよ」と言われます。そのあと、「ケガと道具は自分持ち」と続きます。職人さんによく言われる言葉で、その言葉の通りケガは自分の責任、道具は自分のものを持つことなのです。

厳しいなーと思いつつもプロの世界なんだと感じました。

リフォーム中の小椋

大工の修行

家を作り上げていく大工仕事も、最初はぎこちないのですがだんだん慣れてくると要領も掴めてきます。

釘を打つのにも最初はまっすぐ入らず曲がったりして、「まだまだやの」と大工さんにからかわれましたが、そんな他愛のないことがとても楽しく感じました。

が、楽しいことばかりではありません。しんどいのが、木材・資材などを工事現場までの運搬です。外から中へ、一階から二階へ、最初のころはいつも筋肉痛になってました。

また雨の日や炎天下、雪の降る中での作業、大変な思いも経験し修行しました。

現場監督に逆戻り!

大工として物作りができる充実した日々を送っていたのですが、棟梁の長男として役割もありましたので、作業内容が大工仕事だけではなく、業務全般へと変わってきました。

清水建設にいた時と同じく現場監督の仕事なのですが、住宅建築では全く違った仕事の内容だったのです。

お客様との出会い、お問い合わせがあったその時から、打ち合わせ・資金相談・プラン設計、現場管理、引き渡しと全てに関わることができます。

打ち合わせの過程を知っているからこそ、現場へ反映もスムーズにできます。

自分が全てに関わった家が完成した時は、とてもうれしいものです。なにより、お客さんの顔が見え、声も届きます。

お客さんに喜んでいただけると、本当にうれしくなります。